2010年9月25日土曜日

オーストラリア旅行の時の写真





右の写真は、今から約5年ほど前にオーストラリアに旅行した際、オーストラリア大陸のほぼ中心にあるアリススプリングスというリゾートタウンを訪問した時の写真と、メルボルン近郊にある豪州にしかいない動物たちの生態を間近に見せるための動物園を訪れた時の写真である。

2009年11月30日月曜日

デフレ

政府は日本経済がデフレ化しつつあると言う。
確かに、街に出て、お店にある商品を見ると低価格のものがやたらと目につく。

今や個人も、法人も、政府も、名目価格が上昇し、売上高も給料も税収も増える適度な?インフレを望んでいる。だから名目価格が下がってしまうデフレ経済の到来などと聞くと、ほとんどの人が『やれやれ困ったことだ』とうんざりする。

そりゃそうだ。個人も法人も政府も、われわれはみな名目価格で暮らし、経営し、行政活動をしているのだから。

ところでドルベースの原油価格は、一時のバーレル30ドル台が今や70ドル前半にまで上昇しており、専門家は今後さらに上がっていくだろうと予測している。早い話が中国とインドとブラジルがものすごい勢いで石油製品を消費し始めたからだろう。

原油価格が値上がりすると、まずはガソリン、灯油、ナフサ、軽油、重油などの石油製品の値段が上昇するが、ほとんどの場合、共連れでLNGやLPGの価格も上昇するから、結果電力料金やガス料金が値上がりする。

石油製品の値上がりや電気・ガス料金の値上がりは、物流費、交通費、空調費などの価格を引き上げ、鉄鋼、非鉄金属、石化製品などの価格を引き上げる。そして、まわりまわって最終的にわれわれの日常生活に必要な様々な財やサービスの価格を押し上げる。

しかしこうした中でもサラリーマンの給料やボーナスは、まず間違いなく据え置きか更なる引き下げとなるだろうから、消費者の暮らしはむしろ悪くなり、必然的に購買力も増えない。

このように考えると、これからの最大の経済問題は、デフレ経済の進行などではなく、生活者の収入や所得がむしろ減っていくのに、物価だけはじわじわと上がっていくという点なのではないかと思えてくる。

いずれにしても庶民にとっては『やれやれ』と『とほほ』の日々が続きそうである。

2009年9月18日金曜日

アジア商業中心


久しぶりにアメ横に行った。JR御徒町駅で電車を降りてホーム中ほどの階段を下り、北口改札を抜けて左側に出るとそこはアメ横商店街の入り口だ。不景気とはいえ、週末なので商店街は大勢の買い物客でにぎわっており、人込みを縫うように上野方向に向かった。

200mほど歩くと、左側に外壁がシルバーメタリックの大きなビルが見えてくる。地上5階・地下2階建のビルで、昭和58年に完成した。ビル名はアメ横センタービルという。

中に入ると地上階は衣料品、宝飾品、スポーツ用品などの店が多数入居しているが、活気に満ちた表通りに比べるとお客は少ない。

ここの地下フロアーは地上階に比べて面積が狭く、3分の1くらいしかない。そこに肉類や魚などの生鮮食品や各種の加工食品などを扱う店が10数店ほど入っている。                    

『なーんだ、これだけ』と言うほどの広さだが、なぜかそこには不思議な活気とエネルギーに満ちている。その秘密は4軒ほどある各種加工品を扱う店とそこを目当てにやってくるお客の顔ぶれにある。

この4軒が扱っているのは、中国、韓国、タイ、フィリピン、インドネシアなどアジア各国の多様な食材、調味料、飲料などだ。日本人客も訪れるが、週末ともなると東京で暮らすアジアの人々が大勢やってくる。                                                           
しかもこの4軒に限らず、同じフロアーの魚屋などにも中国人とおぼしき店員がいて、中国語や少し変な日本語で客の相手をしている。

年配の女性客が商品を指さしながら中国語で何やら叫ぶ。若い中国人の店員が大声で答える。フィリピン人らしきお客が中国人の店員と、助詞のない少し怪しげな日本語でなにやら話している。     

似たような光景はフロアーのそこここで繰り広げられている。あたりに漂う匂いも街中の食料品店とは違うし、商品の色彩もカラフルでにぎやかだ。  

フロアー全体でも百坪くらいかなという、決して広いとは言えないビル地下の商空間だが、そこにはさながら東京のアジア生活商業中心といった趣がある。                              

ところで、現在わが国の社会は少子高齢化が猛烈な勢いで進んでいるが、もしこのペースが今後とも続くとすれば、将来のわが国は、経済活動や社会機能を維持するために、アジアの国々を中心とした海外から大量の出稼ぎ労働者や移民労働者を呼び込まざるを得なくなるだろう。             

直感的に言えば、2030年代には、東京圏に限っても200万人近い外国人労働者が、アジア各国から流入しているのでないだろうか。                                          

その時、上野・御徒町一帯は、週末ともなれば何万人というアジアの人々が、食材や日用品を求めて、或いは同胞との出会いや語らいを求めて集まり、あたかもアジア商業の一大テーマパークのような場所になっているのかもしれない。




2009年8月14日金曜日

キャットストリートを歩く



表参道や原宿周辺には、歩いて楽しい横道、裏道、路地がたくさんある。自分のお気に入りは渋谷宮下公園脇で明治通りから枝分かれして表参道に至り、その先は千駄ヶ谷方面へと続く通称キャットストリート。

道幅は7~8mくらいの歩行者専用道路で、表参道との交差は信号や横断歩道がないため、表参道をそのまま突っ切って先に行くことは出来ない。                                       
キャットストリートというのはあくまで通称。正式には旧渋谷川遊歩道という。1964年に旧渋谷川の暗渠の上に造られた道で、おそらく1990年代の初めころからキャットストリートと呼ばれるようになった。

元が川筋だったところに造られた道なので、直線部分も土木技術者が定規で引いたような感じがなく、また、道と両側の家並みの位置関係がなんとも不思議な間合いだったりするのも面白い。

もっぱら人が歩くための、それものんびりブラブラと歩くための遊歩道として整備されてきた道なので、一定の間隔で休憩コーナーのような場所を設けるなど歩行者のためのちょっとした仕掛けが随所にあるのもありがたい。

実際にこの道を歩いている人のスピードを観察してみると、設計者の狙い通りほとんどの人がのんびり、ゆっくり、まさに楽しむように歩いている。

道の両側にはブティック、ファッション雑貨、スニーカー専門店、ヘアサロン、レストラン、カフェなどが程良い密度で店を構えているが、内装や外装にこだわりを持った個性的な店も多く、道路景観としてもオシャレトカイチックでなかなか良い。

表参道や竹下通りなどと比べると歩いている人の数はぐっと少ないが、これは国内各地や海外からの観光客があまり入り込んでこないからで、ブラブラ歩きをするにはちょうど良い歩行者密度だ。

郊外部に多い自然たっぷりの遊歩道も良いが、原宿などの都心部ではこういう遊歩道もアリなのかなと思う。

ところで、このキャットストリートは横道や裏道が何本も交差している。こうした横道や裏道に入り込み、奥へと歩いて行くと『こんなところにこんな店が』といった発見や驚きがしばしばあり、これがまた面白い。

表参道沿いなどと違ってテナント賃料や保証金がだいぶ安くなるため、商業ベンチャーの生息地みたいになっているのだろう。

表参道や原宿の裏道、横道、路地裏などをウロウロしていると、繰り返し行きたくなる楽しい街とは、横道、裏道、路地裏が面白い街なのだということを改めて確信する。

2009年8月12日水曜日

表参道の歩道



用事があり渋谷まで行ったので、ついでに表参道まで足を伸ばした。

表参道にはもう一年以上行っていないし、趣味のタウンウォッチングを楽しむという点でも外せない街の一つだから。

渋谷から地下鉄銀座線に乗り、表参道駅で下車。A5出口から地上に上がると表参道と青山通りの交差点脇に出る。で、ここから表参道を明治通り方面に向かって下ってみた。

気温は高いが湿度が低く、空も晴れ渡っていたので平日にもかかわらず人通りは結構多かった。しかも、この円高にもかかわらず欧米系の観光客と思しき外人さんを多く見かけたのは予想外だった。

歩道を歩く人の群れの中に、金髪や銀髪や赤毛色の白人が適度に混ざっていると、もうそれだけで街の雰囲気というか空気がなんとなくハイカラな感じになるから不思議だ。

A5出口から表参道を歩いて2~3分のところに、洒落たオープンカフェがあって席は8割がた埋まっていたが、例によって、歩道に面した外の席はほとんどが白人の外人客だった。

歩道や車道から見たときにその方が“絵”になるという理由で、店が意図的に白人客や黒人客を前列席に誘導するからだ。

言わば見え見えのやり方なのだが、周囲の景観と相まってヨーロッパの街のオープンカフェみたいな雰囲気があり、確かに絵にはなっている。

ところで、表参道が魅力的に見える理由の一つは間違いなく歩道の広さにある。歩道の幅員は7m近くあり、これは往復二車線の車道がとれる幅だ。しかも歩道の車道寄りには緑豊かな立派な木が植えられているので、葉っぱ越しの柔らかな木漏れ日が歩道に注ぐ。

歩道がこれだけ広いと、歩行者はすれ違う人に気を使うことなく、のんびりとした気分で歩くことができる。例えば親子連れの3人家族が手をつないで歩いてもあまり気を使わずに済むが、これは結構大事なポイントだ。

また、表参道の歩道はきれいなブロックやタイルで舗装されているが、歩道の幅が十分に広いためにきれいな舗装面が文字通り広がりをもった面として目に入ってくる。だから装飾舗装も良く映える。

ファサードなどのエクステリアに凝った有名ブランドのショップやファッションビルも、前面の歩道がたっぷりと広いから、そのデザインが一層活きる。このことは似たような店の多い代官山と比べてみると明白だ。

代官山はおしゃれな街だが、残念なことに表通りの歩道部分が狭くて貧乏くさい。結果、せっかくのおしゃれなショップや建築物も、表参道ほどには引き立たない。

さらに、表参道は六本木と並んで道路わきに駐車する車の中に欧州車の多い街だが、広くて美しい歩道は、それらの外車をも街空間を演出するための小道具やアクセサリーのような存在にしてしまう。

つまり、たっぷりと広い歩道は街の景観や雰囲気を全体としてリッチなものにするし、そこを訪れる来街者の心理や行動にもゆとりをもたらすのである。
たかが歩道、されど歩道という言葉が頭に浮かんだ。

2009年8月8日土曜日

クロネコヤマトの宅急手押し車



朝、新聞を取りに郵便受けのところまで行ったついでに前の道で深呼吸をしていたら、向こうの方から箪笥半分くらいの大きさで全体を緑色のビニールシートで覆ったカートというか手押し車のようなものがやってきた。

カートを押しているのは年配の女性。ときどき地図だか書類だかを見ながら近づいてきたので、良く見るとクロネコヤマトの宅急便用のカートだった。

多分5~6年くらい前までだったと思うが、ヤマト運輸は宅急便の配達や荷物の受け取りに、もっぱら背高の特注バンタイプの車両を使っていた。

住宅地のせまい道路を、背の高いバン車両がディーゼルエンジン特有のガーガーという騒音をたて、黒い排ガスをまき散らしながら走り回る様子ははっきり言って不快だったし、少しでもスピードが出ていると身の危険も感じた。

その後、環境問題への社会的関心の高まりへの配慮なのか、ディーゼ車に対する石原都知事のバッシングのせいなのか、ヤマト運輸はバンの一部を天然ガスエンジン車に切り替えたようだが、住宅地の狭い道を背高のバンが走り回るという不快感や不安感は相変わらず残った。

そうこうしているうちに、周囲の住宅地を走り回る専用バンを見かけることがめっきりと減り、それに代わって、電動自転車の後ろに大きな緑色のカートを連結したリヤカー付きの自転車で貨物を配達する従業員の姿をしばしば見るようになった。

去年の夏のかなり暑い日だったと記憶しているが、緑色の重そうなカートを連結した自転車を、汗をかきながら黙々とこぐ担当者の姿に思わず『へーっ、リヤカー使ってるんだ。暑いのに大変だ。ご苦労さま』と声を掛けてしまったことがある。

そしてついに今年、ヤマト運輸は貨物の配送に手押し車まで使い始めたことを知り、『うーん、そこまでやるか』とさらに驚いた。

話を聞いてみると、どうやらヤマト運輸は、各営業所の担当エリアのうち営業所に近い一部の区域に限って、リヤカーや手押し車による配送を行っているらしい。

さて、ヤマト運輸がリヤカーや手押し車まで使い始めた背景には、背高のバンが走り回ることに各地の住民からたくさんのクレームが寄せられたとか、低炭素社会実現に対する企業としての取り組みの一環とか、化石系燃料の価格高騰への対応などの事情があったのだろう。

ただ、実際にやってみたら、実はヤマト運輸が予想もしていなかったような反応や反響があったのではないかと想像する。

すなわち、住宅街の道をリヤカー付きの自転車をこぎながら、或いは手押し車を押しながら黙々と仕事をする従業員の姿を間近に見た住民の心の中に、ある種の好感やねぎらいの気持ちを引き起こした可能性である。

もしそうだとすれば、企業イメージ向上への効果という点でこれに勝るものはないだろう。少なくとも、どこかに一抹の胡散臭さやポーズを感じずにはいられない、大企業が声高に叫ぶ地球環境問題への対応などと比べたら、はるかに説得力というか訴求力に富んでいる。

肉体を駆使して、額に汗しながら、懸命に働く肉体労働の美しさというのか、説得力というのか、シンプルだが明確で強烈な訴求力というものを再認識させられるとともに、仕事としての肉体労働というものに対する評価の機運が上がっていくのではないかとの予感がした。


2009年8月1日土曜日

遊歩道北2号


市役所に行ったついでに地図をもらってきた。駅を中心にして半径500mの円を描いてみる。その中はほとんどが高層マンション、商業ビル、アパート、戸建住宅などが建て込んだいわゆる過密エリアである。

ころがこんな過密エリアからほんの50mほど離れた一角に、まるで都市計画から抜け落ちたようなちょっと不思議な小径がある。

道幅は1m足らずで距離は50~60mくらい。舗装はされておらず、道の両脇は住宅や高層マンションなどの建物も迫っていない。道に沿ってあるのはちょっとした竹林、木立、小さな鳥居、塀代わりの植え込みなどだ。

夕方この小径を歩いていると、下校途中と思われる中学生のグループ、犬の散歩をしている主婦、小さな子供の手を引いて歩いている親子連れなどとすれ違う。

この小径、市のほうでもちゃんと≪遊歩道北2号≫という名前を付けており、市が指定した市内散策コースの一つにも組み込まれている。

≪遊歩道北2号≫とはなんかロボットみたいな名前だが、市が名前を付けて散策コースに組み込んでいるということは、この道が多くの市民から愛されていることの証拠なのだろう。

都市にはたくさんの道がある。そしてそれらの道のなかには、足早に通り過ぎてしまうにはもったいないような道、少し遠回りでもわざわざ通りたくなるような道、幼子の手を引いてゆっくりと歩きたくなるような道が必ずある。

単に移動するためだけの道ではない、それ以上の価値や魅力を持った道である。

ここで言う価値や魅力とは、例えば、道沿いの花や木の葉などから季節の移り変わりが身近に実感できるとか、小さなお地蔵さんや祠があって心を和ませるとか、歴史や文化や先人の暮らしが偲ばれるなどだ。

東京の周辺だと鎌倉市、関西だと京都市などに行くとこうした魅力的な小径や小路がいっぱいあり、住民も外来者もそこを楽しむように歩いている。

結局、魅力的な街とは、魅力的な道が街のいたる所にある街と言っても良いのかもしれない。そして魅力的な道とは、住民と行政が協力しながら時間をかけて造り込んでいくものなのだろう。